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【カウンセリング 】生きづらさを生む「ジャッジ」

2020年01月04日

 

 

人はそれぞれの価値観を持っています。

 

 

自分の価値観で他人の価値観を

正しいor間違っているとジャッジし過ぎると

人間関係にストレスを感じ

生きづらさを生むことでしょう。

 

 

好き嫌いは誰にでもありますが

それと善悪は別です。

 

 

そんな中

今日のお話は人間関係のストレスを

軽減するヒントになるかもしれません。

 

 

 

「ジャッジ」と生きづらさ

 

 

ここでは

自分にとっての正しさと

相手にとっての正しさに違いがある時

それを間違いと決めつけ判断することを

「ジャッジ」と定義してお話しましょう。

 

 

では、正しさの基準とは何なのでしょう?

 

 

一つ考えられるのは「常識」です。

 

 

言葉にすると

「〇〇なのが当たり前でしょう!」

「普通は〇〇だよね!」

のような見方・考え方とも言えます。

 

 

「常識」と云うものは

時や場所やその人の価値観で変動する

あいまいでいい加減なものだと思うのです。 

 

 

その時その時で「常識」が変わる例として

戦前と戦後などはどうでしょう?

 

 

同じ国であっても戦前と戦後では

価値観が激変したことを

あなたもご存知のはずです。

 

 

また時ではなく場所の例として

都内で暮らす常識がアマゾンの奥地でも

通用するとは思えませんよね?

 

 

同じ時代であっても国や環境が違えば

「常識」も変わることでしょう。

 

 

あえて極端な例をあげててみました。

 

 

勘違いしないで欲しいのですが

自分の「常識」や「普通」を

否定しているわけではありません。

 

 

ここで言いたいのは

それぞれの「常識」や「普通」に

正しさを求めないと云うことです。 

 

 

正しさを求め過ぎると

自分の「常識」や「普通」の枠に

収まらないものは悪いものに

なってしまいませんか?

 

 

自分と同じ価値観の人などいないので

周りは悪者で敵ばかりになりかねません。

 

 

周りが悪者で敵ばかりの人生は

生きにくいものだと思うのです。

 

 

しかし「常識」や「普通」を

善悪でジャッジしないとしても

「好き」「嫌い」は存在します。

 

 

「好き」「嫌い」と「善悪」は別物です。

 

 

「好き」だから「善」と云うわけではなく

「嫌い」だから「悪」と云うわけでもありません。 

 

 

もちろん「嫌い」を無理やり

「好き」になる必要はないでしょう。

 

 

しかし「嫌い」を「悪」とすると

人間関係は苦痛極まり無いものになります。

 

 

 

具体的な解決策

 

 

じゃあどうしたら良いのか?

 

 

ここからは具体的な解決策のお話です。

 

 

まず自分の価値観の枠の外にいる人を

頭ごなしに否定する必要はありません。

 

 

その人の価値観はその人のものです。

 

 

どんな価値観で生きようがその人の自由。

 

 

自分が理解できない価値観に触れた時の

具体的な解決策は

 

「へ~そんなんだ」 

 

で対処することです。

 

 

人は人、自分は自分なのですから。 

 

 

しかし万が一、

相手の価値観を押し付けられたら

「あなたの価値観は否定しないけれど

自分とは違うので受け入れられません」

と意思を伝えることは必要です。

 

 

世の中の全ての人が

自分と同じ価値観だったら気持ち悪いし

そんなことはあり得ません。

 

 

好き嫌いは認めつつ

それを善悪でジャッジしないで

お互いに違いを尊重し合うことで

人間関係のストレスは軽減されるはずです。 

 

 

少しでも参考になれば嬉しく思います。

 

 

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