同じ事実を目の前にした時、事実に対する解釈は人それぞれです。
事実は同じなのに何故解釈に違いが出るのでしょう?
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事実+物語=解釈
人は事実に”物語”を付けて解釈します。
例えば音楽や文学や映画など同じ芸術作品を見た時
見た人の感じ方は、人によって違うものです。
その違いは作品という同じ事実に、
見聞きした人固有の”物語”が紐付けされるからです。
では見聞きした人固有の”物語”とは何でしょう?
それは、その人の”考え方のクセ”とも言えます。
”考え方のクセ”を掘り下げると過去のデータの蓄積です。
特に幼少期の体験からくる”考え方のクセ”は
無意識の領域に存在し、事実に対する物語に
大きく影響します。
しかも物語は無意識に創作されるので
”事実=解釈”のように認識してしまい
事実を事実以上に解釈してしまうのです。
例えば会社で
東京から大阪に転勤を命じられたとします。
事実は東京から札幌に転勤を命じられただけです。
そこに物語を創造して解釈を作り上げます。
ありがちな物語としては
・きっと左遷に違いない。
・もう出世は期待できないだろう。
・自分は用無しなんだ。
などの物語を創作して事実に混ぜ込むのです。
事実よりは遥かに大きくした物語をみて
”自分の人生はもう終わりだ”なんて
解釈したりする人もいます。
”転勤=人生の終わり”は事実ではありません。
僕も過去に、種類や程度は違えど
このような構造で
感情を振り回された経験もあります。
この構造を理解できると
人生がかなり生きやすいものに成るのでは無いでしょうか?
物語は自由に創造可能
何故なら物語を無意識に創造するのではなく
意識的に選択することも可能だからです。
そのためには必要なことがあります。
解釈ー物語=事実
まずは事実を事実として認識することです。
言葉にすると
「ただ〇〇なだけ」
「〇〇以上でもなければ〇〇以下でもない」
必要以上にネガティブに成ることもなく
無理やりポジティブに傾く必要もありません。
そして物語は自由に創造出来るのですから
自分が違和感なく選択出来る物語を
意識的に創造し事実を解釈出来たら
人生は大きく変わると思うのです。
もう一つ大事なことがあります。
それは物語を創作する際に大きな影響を与えた
”自分固有の考え方のクセ”を知ることです。
そのためには”内観”というものがあります。
生育環境や両親の言動で感情が動いた出来事を思い出し
自分固有の考え方のクセを自覚するのが内観。
とことん自分と向き合い、
自覚していなかった考え方のクセを自覚することは
簡単なことではありませんが有意義なことです。
今日お話しした事はとても地味な作業ですが
僕自身実践して有益と感じていることなので
シェアさせて頂きました。
いつも最後まで読んで頂きありがとうございます。