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【カウンセリング】「自由」になるために

2019年08月25日

 

 

自分の行動に不要な制限をつけると

生き方が窮屈になる気がします。

 

その考え方は言葉に現るものです。

 

例えば「~であるべき」などの言葉は

自分で自分の首をしめるように自分の発想や行動に影響しました。

 

 

生き方は自由

 

「~じゃなくてもいいかも」

その言葉は

「~であるべき」

の対局にある言葉です。

 

 

この言葉を他人から聞いたらどう感じるでしょう?

 

 

まず

「~であるべき」

と他人に言われたとすると

 

相手による差はあるものの

思い浮かぶイメージは

「窮屈」

「正論」

「決めつけ」

「厳格」

「強制」

「押しつけ」などです。

 

 

対して

「~じゃなくてもいいかも」

と言われたら、どんなイメージをするか?

「自由」

「選択」

「余裕」

「優しさ」

「広がり」

「解放」などでした。

 

 

それらの言葉を

他人に言われたと仮定してのイメージでしたが

 

それらの言葉を

自分が自分に使っていたらどうでしょう?

 

”言葉”と”生き方”の関係は密接です。

 

「~であるべき」的な生き方があります。 

 

「~じゃなくてもいいかも」的な生き方もあります。

 

生き方は自分で選択可能です。

 

僕自身は

「~じゃなくてもいいかも」

の方が好きです。

 

その理由は言葉の元になる想いにあります。

 

 

 

何でそう思うのだろう?

 

 

「~であるべき」の元になる想いに垣間見れるのは

 

「これが正しい!」

「こうじゃないとでダメ!」

という思い込みです。

 

多くの場合、そうじゃなくても問題ないはずなのに・・・。

 

その観念は幼少期に条件付きの愛され方で

身についたのかもしれません。 

 

親を喜ばすには

”こうあらねばならない”

”この条件を満たされた時には愛される”

そんな生育環境がが生んだ観念だと思います。

 

その観念の出どころはどうあれ

「~であるべき」生き方は

正しい自分と間違った他者に分断し

自分の行動も必要以上に制限しかねません。

 

 

「~であるべき」生き方を選択することを

意識的にしているのであれば

それはそれで良いと思います。

 

 

しかし、その選択が無意識だとしたら

とてももったいない気がするのです。

 

生き方は人それぞれ

「~であるべき」でも

「~じゃなくてもいいかも」でも良いと思います。 

 

大切なのは、自分の意思で選んでいるか

否かなのではないでしょうか? 

 

 

 

じゃあどうするの?

 

 

”生き方を変える”というと大げさに感じてしまいます。

 

そんな大それた決断をするより

いままで無意識に思い込んでいた

「~であるべき」に気付いたら

 

「~じゃなくてもいいかも」を選択するとどうなるのかを

イメージしてみることは簡単です。

 

多分「~じゃなくてもいいかも」を選択しても

何の問題ないと感じると思います。

 

どちらでも問題ないと感じたら

自由な選択が可能です。

 

そんな小さな変化が

人生の自由を大きく広げてくれたら

楽しと思います。

 

 

最後まで読んで頂き

ありがとうございました。

 

 

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