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僕が大切にしていること

2019年04月09日

僕が大切にしていることは

「優しく在りたい」と意識し続けることです。

なぜなら優しくない自分を自覚しているから。

僕は、自分はこう在りたいという「理想の在り方」など意識することもなく

長いあいだ目の前の我欲を満たす生き方をしてきました。

それは
育った環境が三世代同居の家庭の初孫だったこと。

また生家が自営業を営んでいた為、
長男であったことから後継として周囲の大人から甘やかされて
我儘放題で幼少期を過ごしたことが大きく影響しています。

自分で事業を立ち上げた祖父が、婿養子だった父を蔑む言葉の中で
「僕が大人になったらお金を稼いで、お爺ちゃんをやっつけてやる」と
事あるごとに思っていました。

そして僕がその環境から身に付けたのは

心より、結果を優先させる「優しさに欠ける在り方」です。

その在り方は結果的に周囲の人を苦しめ、
多くのものを失う辛い現実を引き寄せました。

卒業後、一時は家業に勤しむものの、それを放棄し
ネットワーク・ビジネスの世界に身を置くことになります。

その結果は表面的に成功したように見える時期もありましたが
最終的に「在り方」に見合う結果が待っていたのです。

その時僕は、人間関係も収入も失いました。

そして様々なものを失う過程においても、
僕は自分の在り方を省みることから無意識に逃げていたのです。

そんな中、自分に突きつけられた最終通告。

それは最後に残った大切な存在を失いかけることでした。

こんな無茶苦茶な生き方をしてきた僕を、
支え続けてくれた妻がいます。

僕のいい加減な行動の尻拭いなど、
全ての面倒なことをやってくれていたんです。

その妻が生死を彷徨う原因不明の大病になることで
初めて自分の「在り方」に向き合うことになります。

その時サポートしてくれたのが、僕の妹でした。

妹はヒーリングや心理学に造詣が深く、
人間の精神が肉体に与える影響についても多くの情報をくれ、
僕の「在り方」の変化が妻の治癒には不可欠だと教えてくれたのです。

それから僕は「内観」を通して初めて自分の見たくない自分に直面し、
それがキッカケで「優しく在りたい」と願うようになりました。

妻の病気は西洋医学の診断では原因不明でしたが
僕自身、自分の人生を振り返り、妻の身になって想像してみると
「自己中心的で優しさに欠けた僕の在り方」が
妻の病気の原因だと気が付いたのです。

妻は、ずっと辛かったろうし、寂しかったろうし、
悲しい思いをしていたんですよね。

僕がその経験から学んだことは
「在り方」が人生を作るということです。

本当にありがたいことに、
今では妻は元気になり、幸せな日々を過ごせています。

優しい人は優しくなりたいとは願いません。

僕が「優しく在りたい」と願うのは

優しくない自分を自覚しているからです。

僕自身にその自覚があるからこそ
「優しく在りたい」という在り方を体得するには
意識し続ける必要があると感じています。

「理想の在り方」が身に付くかどうかは大切です。

しかし、もっと大切なのは「理想の在り方」を
目指すことではないでしょうか?

「エルドラド」の伝説というお話があります。

それは、南米の奥地に存在すると信じられていた黄金郷のお話です。

その伝説を信じ、黄金を得ようと
ヨーロッパから「エルドラド」を目指した探検家がいます。

距離もさることながら南米の未開の地では、
厳しい自然環境や先住民族との関係など
黄金を探す以前に様々な困難が存在していたのです。

探検家は困難に直面しては黄金を夢見、
困難を克服する日々の中で数々の体験をします。

その探検家は、最終的に「エルドラド」は存在しないことを知った時
「エルドラド」を目指すことで超えてきた体験そのものが
黄金の価値であることに気が付くというお話です。

このお話は「理想の在り方」を目指すことに似ています。

何故なら、人の死は突然思いもよらぬタイミングで訪れます。

つまり、「理想の在り方」を目指そうが目指さなかろうが
同じように未完成で最後を迎えことになるのです。

しかし、同じ未完成でも「理想の在り方」を目指さないということは、
完成を目指さない「ただの未完成」です。

一方「理想の在り方」を目指すことは、
完成を目指した未完成であり、
「完成された未完成」と言えるのではないでしょうか。

だから僕は「優しく在りたい」という願いを
意識し続けることを大切にしています。

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